人はなぜ冷笑主義になってしまうのか?
頑張って努力してる人たちを面白おかしくしか見れない人がいます。
彼らのことを冷笑主義、シニリズム、皮肉屋、冷笑系などといいます。
あなたは「ありがとうを集めよう!」という言葉を聞いたときに、馬鹿にしたような気持ちになりますか?
だとしたら冷笑主義の可能性があります。
ではなぜ冷笑主義の人はこのような行為が面白おかしいと感じてしまうのでしょうか?
冷笑主義と宝くじ購入の具体例
宝くじを例として、どういう考え方を持っている時に、冷笑主義的な発想になるかを示します。
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もしかしたら当たるかもしれないと思ってる人
宝くじを買い続けたら、もしかしたら当たるかもしれないと思っています。
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宝くじの期待値はマイナスなので数学的に損だと理解してる人
宝くじを買うことは合理的な行動ではないと判断できます。
天文学的な確率をくぐり抜けたごく一部の人しか当たらない事を理解できます。 -
宝くじは絶対に当たらないと思ってる人
宝くじを買っても絶対に当たらない=絶対に損をする。
絶対に損するものを買うやつは馬鹿で面白い。
おわかりだと思いますが、冷笑主義になりうるのは3の人達です。
つまり極小の確率を認めず0%とみなす人たちです。不正によって一般人は絶対に当たらないと思ってる人も含まれます。
0か0ではないかは結構重要です。
なぜなら冷笑主義の本質は「無意味なものを本気で信じる人は面白い」という所にあるからです。
冷笑主義と虚無主義、運命論との比較
「物事の意義や価値は存在せず、自分自身の存在を含めてすべてが無価値だ」という考え
「世界のすべての事象は運命によってあらかじめ定められており、人間の意志や努力では全く変更できない」という考え
虚無主義は「全てのものは意味がない」という考えです。こうなると、すべてのものをあざ笑う最強の冷笑主義者が誕生します。
対人関係における冷笑主義
対人関係においても冷笑主義のような感じになってしまう人がいます。
彼らは本音で真面目に語り合うことを馬鹿にしますが、それは彼らが心の奥底で
「本音で真面目に語っても何も意味がない」と思っているからです。
もちろん対人関係は、うまく行くこともあれば、うまく行かないこともあります。
しかし冷笑主義の人たちはうまく行かなかった経験則も含めて、人間関係そのものを見下しがちです。
・周りには変な人間しか居ない
・人付き合いしても何も得るものがない
・アホ同士でつるんでるな(笑)
こういう発想が出てきたら冷笑主義の考えがハマってきていることは自覚しておいたほうが良いかもしれません。
まとめ
冒頭に「ありがとうを集める」に対する冷笑主義の話をしました。つまりそこには、ありがとうを集めても何の意味もないだろと思う気持ちがあるのです。
繰り返しになりますが
冷笑主義の本質は「無意味なものを本気で信じる人は面白い」ということです。
このような感情が現れた時は、今自分はこの人たちの行為を無意味だと思っているんだと自覚するための材料になると思います。また、面白さの追求にも使えるかもしれません。