誰でも一度は「なぜ人を殺してはいけないのか」について考えたり議論したことがあるのではないでしょうか。
けれどその多くは納得できる理由が提示されずに終わってしまいます。
今回は逆に人を殺しても許されるケースを引き合いに出してから、なぜ人を殺してはいけないのかの理由についてまとめます。
人を殺しても許される特殊なケース
これらの状況でも、無条件に殺人が認められるわけではなく、法的および倫理的な判断が必要です。
正当防衛や公務執行中の行為でも、行為が適切であったかどうかは裁判所での審理や調査によって決定されます。あくまでも個人や社会の命を守るために自衛が許されているということです。
正当防衛
状況:自分や他者の命が直接的な危険にさらされている場合。
条件:防衛行為が必要であり、かつ過剰でないことが求められる。
戦争や武力紛争
状況:国家間の武力衝突や正当な戦争行為。
条件:国際法や戦争法に従い、戦闘行為が合法とされる範囲内で行われること。
公務執行中の致命的な力の行使
状況:法執行機関が職務を遂行する過程で、危険な状況に対応する場合。
条件:適切なプロセスに従い、必要最小限の力が使用されること。
刑罰としての死刑
状況:一部の国で、法に基づく死刑の判決が下された場合。
条件:死刑制度が合法であり、適切な司法手続きが行われていること。
さまざまな観点から見た人を殺してはいけない理由
法的観点から見た理由
法律は社会の秩序を維持するために存在します。殺人はほとんどの国で最も重い罪の一つとして扱われ、厳しい刑罰が科されます。法律がないと、個人の行動は制約を受けず、結果として社会全体が混沌としてしまいます。
社会が円滑に機能するためには、基本的な安全と信頼が必要です。なので法律上では人を殺してはいけないと定められているのです。
道徳的観点から見た理由
道徳的には、人の命を奪うことは基本的な倫理に反します。道徳的観点からは、他者の命を奪うことは、その人の生きる権利を侵害する行為です。その結果起こる悲劇を想像することは難しくないでしょう。
また、多くの文化や宗教には黄金律というものがあり、それは「自分がしてほしくないことを他人にしてはならない」という教えです。
お互いが気持ちよく生活するために、お互いを尊重して生活しましょうというのが道徳的な考え方です。
心理的観点から見た理由
殺人は加害者自身にも深い心理的外傷を与えることがあります。多くの殺人犯は、後悔や罪悪感、精神的な苦痛を経験することが多いです。たとえその場では罪の意識を持っていなかったとしても、逮捕され刑務所で過ごす中で罪の意識が芽生える人もいます。
心理的な観点から見ても、人を殺すことは自身の精神的健康をも害する行為です。
人権の観点から見た理由
法律とは別に人権という概念があります。人権とは、すべての人間が生まれながらにして持つ基本的な権利や自由を指します。
これらの権利は、人種、性別、国籍、宗教、言語、その他の地位に関わらず、すべての人に平等に与えられるものです。
人権の観点からは、すべての人間は生きる権利を持っています。これは国際的に認められた基本的な権利です。国際連合が1948年に出した「世界人権宣言」の中では基本的人権について宣言されています。
法律は国の中で定められたものですが、国という垣根を超えて世界中の人間が共通する考え方として人権というものが認められているのです。
まとめ
すべての人は人を殺してはいけないという単純な結論に導ければいいのですが、それではそのルールを破る人に対抗する手段が弱くなり社会的に混沌が生じてしまう。そのため厳しい条件下において結果的に人を殺すことを認めてしまっているような部分がある。そのためにややこしいことになっているようです。
命を奪う行為は取り返しのつかない行為なので、常に慎重に扱われるべきだと思いました。