人間の生きる意味について解説

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人間はなぜ生きるのでしょうか?

人間の生きる意味、生まれてきた意味というのはよく議論の対象になります。

今回は人間の生きる意味について自分なりにまとめていきます。

生きる意味という発想はどこから来るか

そもそもこの生きる意味という発想自体はどこから来るのでしょうか。

人間以外の他の生物については、生きる意味に頭を悩ませたりもしないと思います。

動物から人間への進化

そもそも現在の人間がここまで発展してきた大きな要因のうちの一つが、意味をもたせるという能力によるものです。

二足歩行を始めた人間は約300万年前から存在しますが、言葉が使われ始めたのは約7万年前で、人類の文化の急速の発展はこの頃から始まりました。

それは、人間が集団で生活する上で、人に役割という意味を持たせたことで、各個人が自分の得意な仕事に専念し効率化することで、それまでより大きな群れを作ることが可能になったからです。

さらに群れの中では役割さえこなしていれば生活は保証される環境が作られました。

他人に貢献することで清々しい気持ちになるのは、こうした時代があったからだと考えられます(群れに貢献しにくい遺伝子を持つ人種は、群れから追放される等で淘汰された)

現代の人間が生きる意味を考えがちなのも、群れ(社会)に貢献しなければという気持ちがあるからでしょう。

デザインされたものの意味づけについて

インテリジェント・デザインという考え方があります。

これはこの宇宙は知性ある何かによって創造されたという説です。

このような存在が人間を作り出したのだとしたら、人間にも作られた意味があるのかもしれません。

現代社会は人間によって意味づけされたものの集まりです。

それはデザインされた商品はもちろん、国家や貨幣、法律など人間の生み出した無数の意味にまみれて生活しています。

こうした環境では全てのものについて意味があると思ってしまっても仕方がないと思います。

しかし全てのものがデザインされて作られているわけではありません。

石は川に流されるうちに削られて形を変えますし、生物も変異と遺伝と自然選択によって形を変えていくのです。

生物はなぜ増えるのか

生物は自己複製の機能を持っています。

生物以外でも、ウイルスや流行語なんかも他のものを利用して自己複製の機能を持っていることになります。

逆に自己複製機能を持たないものについては、一世代だけで終わってしまうため数が増えたりはしません

つまり私達が見ている世界は、増える仕組みを持つものが増えて残った結果なのです。

個体と遺伝子の限界

細胞が分裂するとテロメアが短縮されていき、テロメアが限界まで短くなるとそれ以上細胞分裂はされなくなります。

しかし我々の身体には通常の細胞とは異なり、いくら分裂してもテロメアが短くならない細胞が存在します。

その寿命のない細胞というのが生殖細胞です。

リチャード・ドーキンス氏の有名な著書『利己的な遺伝子』の中で、『生き物は遺伝子の乗り物に過ぎない』と述べています。


人間の細胞は歳を取ると老化し、やがて個体として死に至ります。

しかし、生殖細胞から次世代へと遺伝子を伝えていくと、無限に遺伝子は生き残ることができるのです。

生物が完全に自由意志のない乗り物とまでは言いませんが、生物の仕組みが遺伝子優位で成り立ってるのは間違いないです。

人生終わり間際の人が後悔すること

病院で死ぬ前の人間に人生で一番後悔してることを聞いたとき、一番多い後悔が「他人に言われるままではなく、自分らしく生きれば良かった」というものです。

多くの人は会社のためにひたすらに貢献しようとして生きていきます。

しかし会社の仕事という他人から与えられる生きる意味では、結局後悔が残ってしまうということです。

死ぬときに後悔しないためには、今この瞬間を常に後悔しない生き方で生き続ける必要があります。

誰かのために生きることも大事ですが、自分のために生きることが最重要です。

まとめ

結局は自分の生きる意味は自分で見つけるしかありません。

しかし生きる意味がなくとも、自分の人生を振り返って肯定できるならそれはそれで良いのではないでしょうか。

私達の身の回りは誰かが作った意味で囲まれています。そうした意味を自分でも作ってみると何か分かるかもしれません。