みなさんは科学と哲学の違いをご存知でしょうか。
古代においては科学と哲学は一体であり、哲学は「知を愛する」ことを意味し、世界についても自分自身についても考えることは何でも哲学とされていました。
実は現代においても科学と哲学の明確な定義というのはありません。
では科学とは一体何なのでしょうか?
科学として認められる条件
科学に明確な定義はありません。
しかし、どういったものが科学として認められやすいかは言い表すことができるので、それについて書いていきます。
反証可能性
科学の条件として反証可能性を持つことが挙げられます。
どんな証拠を出しても反対意見が認められない状態は科学とは認められません。
科学において神の存在が認められないのは、いかなる神を否定する根拠を出してもそれも神の思し召しだと言い逃れてしまう点にあります。
逆に言えば科学的であるということは、その理論がいつの日かひっくり返される可能性があるものしかないということです。
再現性
再現性とは同じ条件で同じ実験をすれば同じ結果が得られるということです。
誰がやっても同じ結果が得られるのであれば、それは確かに科学的だと言うことができます。
しかし科学においてはビッグバンなど再現できないことというのも多数存在します。
再現性があれば科学的だと認められるのは確かですが、必ずしも必要というわけではなさそうです。
対照実験
科学で使われる手法として対照実験というものがあります。
これは複数の実験を特定の条件だけを変えて行うことで、特定の条件と結果の相関を計るものです。
新薬の効果を科学的に確かめるために、新薬を投与するグループと効果はないが本物と言ってある偽薬を投与するグループで比較したりします。
このように行為と結果に相関が認められれれば科学的に確からしいということができます。
科学の本質
科学とは一体どのようなものなのでしょうか。
いうなれば科学とはゲームの攻略Wikiみたいなものです。
Wikiはゲーム上で集められたデータを元にユーザーが情報を書き込んでいきます。
ポイントは
- ゲームを作っている会社が書いた絶対的な情報ではない。ユーザーが観測した事実を元に作られている。
- 間違った情報が書き込まれる可能性がある。ただし長期的に見れば間違いが正され正確な情報が増えていく。
- 世界のすべてを見ているようで原理的に見えない部分が存在する。
攻略wikiは便利なものですが、絶対的なものでは無いという点です。
あくまで事象の観測によってしか世界を確かめる術がないので、科学的な立ち位置にいると永遠に真実は分かりません。
科学と絶対性について
そもそも科学的な態度とは疑い深くなければなりません。
それは科学において正しいとされている理論は、あらゆる疑いがかけられるが矛盾が認められない仮説でしかないからです。
その理論についても今一番正しい可能性が高いと言うだけで、それが絶対的に正しいという立場は取りません。
逆に科学で絶対的に正しいを認めてしまうと科学の進歩というものは止まります。
今日まで科学が進歩してきたのは科学者達が疑いに疑いぬいた結果なのです。
なぜ科学は発展したか
哲学も科学も元を正せば知識を追求する学問でした。
しかしなぜこれ程までに科学だけが広く認められる世の中になったのでしょうか。
それは科学が人類に目に見える利益をもたらしたからだと思います。
暗闇を照らせるようになったり、身体の不調を治したりできるようになったのは科学のおかげです。
科学には再現性があります。一度発明してしまえば何度でも同じ利益がもたらされるのです。
そして科学で生まれた利益を元にまた科学の研究を進めるということが繰り返されてきたのです。
科学は神の代わりになりうるか
科学の発展に伴う近代化の中で絶対的な神の概念というのは失われていきました。
現代人の科学の絶対視は、神を失ったことで空いた穴に無理やり科学を当てはめようとしているようにも見えます。
絶対的な神様は全知全能であるのですべての事象について解説することができました。
しかし科学では解説できないことの方が多いです。
人間の真実を追求する欲求、物事の因果関係を知りたいという欲求は計り知れません。
それはきっといつまでも答えを出せないのは人間にとって苦しい状態だからなのでしょう。
しかし科学では答えの出せない事がある以上、科学を絶対視していると歪みが生じ苦しむはめになるのです。
まとめ
科学は一見絶対的に正しいように見えますが、決して絶対的ではなく、しかも科学は限定された分野についてしか語れないということでした。
逆に科学を絶対的なものと思い込んで、考えるのを止めてしまうことは科学の発展を止めてしまいます。
科学はあくまでも人類にとって役立つ道具でしか無いということでした。